2011年04月13日
Silkieインタビュー (May 10, 2009)
●この記事は、KEYSOUNDを主宰するBLACKDOWNことMARTIN CLARKによる2009年のインタビュー記事を、本人に承諾を得て、myoumeさんに依頼し翻訳したものです。当時非常に興味深かったので翻訳を依頼したのですが、なかなかアップできずお蔵入りになっていました。。。
二年前の記事ですが、当時ロンドンでもdubstepシーンが一ジャンルとして認知され、ある意味混沌とした中に現れたメロディックスター・Silkieのインタビューは、Grimeクルー在籍時の話や「ハードとメロウ」の話など、なかなか他では読めない内容です!!!!4/16の来日に合わせてどうぞ!!!!
上の番号をクリックすると記事の続きが読めます。
Thank you for martin clark & myoume!!!!
たとえダブプレートやレコード、そしてラジオを中心に動くジャンルであっても、ダブステップにとっては良い一年になると胸が踊る。個人的にも注目するDarkstarがトップを走る現在進行中のHyperdubのアルバム。Keysoundの奥の手Kryptic Mindsのダークな作品など、アルバムフォーマットは言うまでもなく今年独特のものだろう。
Malaのレーベル、Deep MediからリリースされたSilkieの"City Limits Volume 1"も、その面々に並んでかなりの強敵となる。今月のPitchforkコラムでも翌週のライブについて徹底的に取り上げてはいるが、それより先にここにSilkieのインタビューを披露することとする。
Blackdown(以下 B): 音楽を始めたのはいつ?
Silkie(以下 S): 15才の時だから2001年。音楽教室に通い漬けだった中学校最後の年。最初に触ったのはCubasis。クラスのみんながピアノを引いたり音を録ってる横で、1人だけプログラミングしてる様な子供だった。先生はCubasisでそんなことが出来るなんて知らないもんだから、いつも「何してるの?」なんて聞いて来たよ。ちゃんと音楽をやる前は、そうやって遊んでただけ。
B: じゃ、作るというよりは組み立ててたって感じ?
S: そう。クラシックな作曲の仕方と同じで、弾くというよりも音符を書いて把握する感じ。プログラミングで言うなら、どちらかというとオールドスクールなやり方。
B: 曲を作ろうと思ったきっかけは何?
S: 自分でも音楽を作れるってわかったのは、WHSmiths(*1)で見たFuture Musicっていう雑誌の'Make Music Now'って特集を読んでから。それまでは、コンピューターで音楽が作れるなんて知らなかったよ。あの頃(2001年)は、ソフトウェアだけで音作りが出来る様になったばかりの頃で、いわゆるコンピューターで作曲が出来る様になった移行の時期だったと思う。コンピューターゲームをやる様な感覚で新しいものを作ってた。曲作りを始める前にDJをやってたから、ビートはよく聴いてたと思うよ。
B: 思い出すと面白いよね。だって、始めるのに5,000ポンド(約100万円)も必要だったんだから。今なら何に金がかかるかといえば、モニターくらいなもんだよね。
S: そう、コンピューター以外じゃモニターだけだね。
B: 8年経っても音楽を作ろうって思わせるものは何?
S: やめようと思ったことは1度もないんだ。子供の頃、EastEnders(*2)が好きだったのと同じレベル。1度始めたら最後までやる。これといって特にやめる理由も無いし。自分は、学校の成績が案外良くていろんな科目でAレベルを取れたから、Aが4つもらえるのと同じレベルの音楽技術の国家証書Bコースを選んだんだ。学校を卒業する時に、音楽だけでやっていこうって決心した様なもの。だから次のステップを決めて行かないとね。何もしてないと、本当に何もしてない気になってくるから。「これやらなかったら何するんだっけ?」って。
B: 君の場合、決めてから行動を起こすのに時間がかかるよね。
S: そう。最初にいろんな考えやアイディアがあっても、最終的にどういう結果になるかは全然わからないし、とりわけどうするかとか、どういう音楽を取り入れるかとか、特にそういう計画もなかったりするから。
B: Unorthadoxはグライムシーンの一部だったけど、自分の作ってたものはグライムだと思ってる?
S: 自分がグライム出身だとは思ってないよ。2001年頃にレコードは買ってたけど、02年の終わりか03年の初めにはもう買わなくなった。どうしてかというと、何の為にもならない気がしたから。お店に行っても、「別に何も欲しくないや...」って思って。おまけにその頃無職だったし、母親もいよいよカンパしてくれなくなってね。それに比べると、音楽を作るのはタダだから、好きなことを安く続けられる一番の方法だった。2001年の頃はまだ、ダブステップとグライムの区別なんかなくて全部ガラージ(*3)だったよね。自分は結局そこから来てると思う。2001年にレコードを買ってた頃は、ガラージはガラージでも99年頃のものとは明らかに違ってた気がする。で、自分が音楽を作り始めた頃やってた事はというと、あれはガラージ。どっちかといえば、もっとブレイクビート系のものがメインだった。実際、作り始めた時は音楽なんてよく知らなかったんだけどね。音符の読み方もピアノの弾き方も一切知らなかったし、メロディ無しでスタブだけ繰り返す様な、ただのビートとベースラインだけものを作ってたよ。
B: ブレイクビート系のガラージをUnorthadoxと一緒にやってた訳だけど、振り返ってみて、それだけをメインで作ってた?それとも、他のスタイルも作ってた?
S: UnorthadoxやNolayで知られてきた後や、WileyやJammerなんかと知り合った後でも、あの頃はとにかくこだわらずに色々作ってた。Quest's Hard Foodともやったし、JammeのNekkle Campのアルバムで彼と一緒に曲を作ったりもした。でも実際、あれは色々作ってたうちのほんの表面的なものでしかなかった気がする。同じ頃に、後でダブステップと呼ばれるものも作ってたよ。別の音楽というよりは、ちょっとスタイルの違うガラージっぽいやつ。スロージャムやR&BやHip Hopなんかも作ってた。作ろうと思って作ってたとか、リリースしようと思って作ってた訳じゃないよ。弟のSilverがUnorthadoxのMCをやってたんだけど、僕の部屋に入って来て音を聞くたび「スタジオに連れてってよ」なんて言い出す。自分のことに集中してると必ず誰かがやってくるんだ。曲を作っては焼いて、クラブに出掛けてっては人に手渡して...っていう工程よりは、そうやって自分の所にやってくる誰かが他の誰かに伝えていってっていう友達の輪が自分の音楽をプロモーションしてくれてる様に思う。それがいわゆる「ルート」だから、ペースはゆっくりなんだけどしっかりしてるし、強制されてる気にもならない。Deep Mediとだって、1曲出したらまた出してって、そういう大体的なやり方をしない、ゆっくりなやり方が自分に合ってると思うんだ。
B: Unorthadoxは弟だけがやってたの?
S: 自分は彼らのプロデューサーだったけど、メンバーって訳でもなかった。自分には自分のクルーがいたし、特にUnorthadoxに力を入れてた訳じゃなかったんだ。みんな小さい頃から一緒に育った近所の幼馴染じみで、DJグループの中には誰かしらMCをやりたがる子ってのがいて、あれもそういう感じの集まりだったね。ラジオをやってたけど、彼らに「こうしろああしろ」と言うのはいつも自分で、そのたびに誰も言うことを聞かない。あれはどうしようもなかったね。みんなそこまで本気でやってた訳じゃなかったと思う。
B: ダブステップの存在や、音がただのガラージじゃなくなって来てるのに気づいたのはいつ頃?
S: 初めて一緒に曲を作ったのがHarry Craze。彼とは音楽教室が一緒だったんだけど、彼は当時YAMAHAのサンプラーとKaosパッドを持っててね。彼が自分の物でビートを作って、僕はFruity Loopsで作ってた。彼は元々D&Bを聴いてたんだ。僕が「D&Bは気違いの聴く音楽だ!」って言うと、彼は彼で「ガラージはゲイの聴く音楽だ!」とか何とか言って、よく2人で口論したよ。次にHeny Gが参加して来たんだ。彼とは近所同士で11年近くもの知り合い。そのうち彼もシーンにはまっていって、Velvet Roomsに行く様になった。そうやって付き合ってるうちに、Release the GrooveでHenyのレーベルのリリースがあったんだ。自分がまだ15、6歳の頃。あれが初めて出した曲だね。当時は、どの曲も片面にリミックスを入れてた頃で、彼も入れたいって言うから2日で仕上げて、それをPlastic Peopleで開かれた初めてのForwards>>でHenyがYoungstaに渡して、そこから彼らがまわす様になったんだ。"Dark Square"っていって、もうすっかりビンテージになったやつ。コピーがどこかにあるはず。Youngstaがまわしてたのを聴いたHenyがForwardに誘ってくれて行ったのが最初。まだDubstepが流行り出す前だから、2002年頃だったかな。あれは、"Forward music"とでもいうべきか、そういう将来的な旋風だった様に思うよ。
B: その通りだね。ダーク・ガラージ + ブレイクビート・ガラージ + プロト・グライム = "Forward Sound"で知られてたよね。
S: グライムを作りながらForwardに通って、そうしてるうちにビートが出来上がってった。その結果曲を作る様になったんだけど、その'スタイル'に合わせた訳じゃない。どちらかといえば、はけ口みたいな感じ。自分が先にやり始めたことだし、特にまわりに合わせる必要も無かったし。自分は色んなタイプの音楽を作ってたけど、どう見てもその中にははけ口になるものはなかったからね。そうやってシーンで作った友達を通してダブステップに移行して行ったんだ。音楽がどうこうだけじゃなくて、そっちの方がずっと心地良かったから。グライムだと、何かと競争率が激しいから、色々目をつぶらなきゃいけない決まり事があったり、MCからの規制が多かったりして大変だったんだ。それに比べてダブステップは、心おきなく自分のボーカルラインを作る気になれる。だってビートが音楽でシーンの一部だから。いつもトップに基準として何かを置いておける。でも、だからといってそれが必ずしも必要な訳じゃない。もっとこう'自由'な感じがするんだ。ダブステップの要素を理解し始めた時から既に居心地が良かったよ。段々とダブステップで落ち着いて、グライムってクラス分けされるものを作るのをやめてったんだ。それ以降いいサウンドシステムに出会うと、必ずベースラインに集中して聴く様になった。
B: ダブステップヘッズはグライムについて結構ネガティブに捉えてるけど、その辺についてはどう思う?
S: ポジティブかネガティブかって問題じゃないと思う。なんかしらのバイブは必ずもらえる訳だし。グライムに欠けてたものは'統一性'なんだ。みんながお互いを受け入れてなかったんだと思うよ。全てはクルーの固執した考え方なんだろうね。ダブステップだと、クルーの考え方をそう簡単には表沙汰にしないし、みんなの芽を摘む様な真似も決してしない。ダブステップだと、誰かしらが自分の主催するレイブにブッキングして参加させてくれるけど、Wileyはコネでもない限り他のエリアの人間はブッキングしなかったからね。すんなりとは入れさせてくれないんだ。みんな才能があり過ぎて、誰か上手い奴を入れたら自分の座を持ってかれるんじゃないかってすぐ不安がる。
B: うん、グライムのMCって、みんな仲が悪そうに見えるよね。
S: だろう?そこが理解出来なかった。でも、いまだに好きな曲はあるし、ダブステップと同じくらいにグライムにだって良さはあると思ってる。
B: その通り。
S: 自分なりのセオリーがあるんだ。音楽のうちの5%は良いもので、それが残りの95%をカバーしてる。もしその5%を見つけられたら問題ない。ほとんどの人が、物事の'嫌なところ'に目が行き易いけど、それって本当は大して重要じゃない。だって、どう考えたってそれで気分は良くならない訳だから。みんなその曲が'どうくだらないか'ってとこしか見ないんだよ。もし嫌いなら聴かなきゃいいだけだし、嫌いなことにわーわー騒ぐだけ無駄だよね。 だから、あんまり気にしない様にしてる。
B: Harry CrazeとHenyとは随分長いこと知り合いだと思うけど、Anti Socialが一つにまとまったのはいつ?
S: 17歳の時にP Recordsからリリースした時、友達がポリドールで働いてたんだけど、Ms DynamiteのA&R Jade Richardsonが解雇されてその友達がP Recordsを買い取ったんだ。それ以来彼のオフィスに行ってはよくデモを聴いてたりして、業界の中身がどういうものかも知ることが出来た。女の子の写真と一緒にデモを見ては電話して...って、あれはかなり投げやりだったね。聴くかどうか3秒で決めたり。一緒に出掛けたりレコードを買いに行ったりすることが多かった。彼も面白がってくれて、結果「君の曲から何かリリースしよう」って言ってくれたんだ。その時、レコードに何かサブのロゴラベルを載せたくて考えてたら、"Anti Social Records"っていうのが閃いたんだ。ちょっとした'Anti Socialものだよ'っていう訴えもあってね。他のことは説明するのが難しいね。みんな自然に起こったことだから。
B: Questと出会ったのはいつ?
S: 2003年に、React FMでHenyを通して知り合ったのがきっかけ。HenyはLush FM をやってて、Quest はGrimeのクルー、Northwest Untouchableにいたんだ。Henyと曲をかけてた所にQuest がやってきて、’いいねー’って感じで繋がってったんだ。彼らとは一緒にやり始めたけど、 自分はReact FMでスロージャムのDJをやってたから、Grimeを作ってはいたけどまわしはしなかった。友達のラジオ局だったから、ただ行ってスロージャムを流してただけ。そこでQuestがセットの中で自分の曲をかけてるのを聴いてすごいなと思ったんだ。自分のものと似てたからね。そこで始めて彼に自分の曲を聴かせたんだ。あれがいわゆる、彼のサウンドに影響され始めた時期だったのかも。当時はそうやって繋がってた。彼の考えは自分のと似てると思ったよ。自分と同じことをしてる人間を見つけた時のあの感覚わかる?敵対意識を持つよりも、将来的に考えれば一緒にいた方が断然いいに決まってる相手。'勝てそうになかったら味方にしろ'ってやつだね。
B: Questはどこ出身?
S: ロンドン北西部のHarlesden。
B: Deep MediとMalaと出会ったのはいつ頃?
S: QuestとJ5がMalaの所にCDを渡しに行って、数週間後、聴いたMalaが僕に電話してきて'曲を気に入った'って言ってくれたんだ。自分の思うアルバムのスタイルにピッタリで、彼がリストアップしてるものと全部繋がってる気がするから、今すぐにじゃないけどいつかどれかをリリースしたいって。彼は僕達のプロフィールを広めてから、それからアルバムをリリースしたかったらしく、Deep Mediツアーと12インチより先にアルバムが計画されたんだ。Malaと話したその30分後にQuestから電話がかかってきて、Malaが僕に話したことと同じことを彼にも話したって聞いて、それから一緒にMalaに会いに行ったんだ。2007年かな。全部そこから始まってるね。
B: どのレーベルとも契約できたのに、Malaとしたのはどうして?
S: 見渡してみれば、2枚目以降のリリースがない今までのものや、Mediの前だったら、恐らく6~7曲はリリース出来てただろうね。色んな所からアプローチされてたし、どれに参加しても良かったんだけど、いつも違うレーベルからだったのは、いつか自分のレーベルを始めたいって気持ちがあったからなんだ。でも、Malaがやろうとしてることは、嫌みもなく押し付けがましくもなかった。レーベルの人間はいつも’こういうことをやりますよ’って説明してくれるけど、その時は水面下のことだから今いち真実味がないしリアルじゃないから何をしたいのかよくわからない。ざっとした見積もりでしかないよね。Malaはそういう点では長い目を持ってた気がする。もし僕が目先のことしか考えてなかったら、既にそこら辺のレーベルとサインしてたと思うよ。でも、僕は一つのことしかしないから、自分がやってることで時間をかけて達成していこうと思ったんだ。あれは彼なりのアプローチの仕方だったと思うよ。Malaの音楽ならもう知ってたし、大いにリスペクトしてた。でも恐らく、彼が彼自身をまとめてることや、僕に伝えてくれたやり方はそんなことにも及ばないくらいもっと大きなことで、僕の想いなんて簡単に届かないのものだと思う。
B: アルバムの組立て方や編集のやり方はどうだった?
S: 自分は詰め込むタイプだから、その場の思いつきやコンセプトでアルバムを固めるよりは、9か月間にやってたことのスナップショットみたいにしたかったんだ。それに、自分には曲作りと並行してDJっていう特権もあって、制作途中のものをまわして様子を見たり、どんな感じか把握することが出来るよね。今まで見たことのない何か違うアングルから見れるとでもいうか。それと同時に時々みんなの反応が予想以上の時もある。特にリスペクトする人達と一緒にいるとね。例えば、自分はそこまで思ってなくても、Questなら"これ!この曲!"って具合になるし、'あぁ、そっか!'って僕の気分を動かしてくれる。最初に意見をくれた人の見解からまたもう一回聴き直す。音楽を聴かせるとでもいうか。つまり、それはチームの努力なんだと思う。ただ自分一人で薄暗い部屋にこもって音楽を作ってるんじゃないってこと。だって、細々とした作業が終わった後にはもちろん他人の意見やアドバイスは聞きたい訳だし。
B: アルバムはすっきりとまとまってるけど、決まった型にはめようとしてる様にも見えるね。ランダムなHip-Hopトラックはやらずに、通常のボーカルを引き出したり、自分の音を変えてる様に見えるけどどうして?
S: その方がまとめられるから。ランダムなHip-Hopのトラックを作ることより、自分がやってることのスナップショットを作りたかったから。アルバムにボーカルを加えることだって、彼らから依頼されるのを待つことが気にならなかった。横柄に聞こえるかもしれないけど、自然の流れに任せたかったんだ。だって、もし誰かが自分のやり方に何か言ったとしたら、それは彼らにとってのビジネス。それよりはもっとこう音楽に喋らせる感じ。City Limitsって名前も、この都市に住むという意味から来てるんだ。この都市には限界がある、でもその限界は自分がどう作るかなんだ。小さい頃なんてどこにも出掛けたことがなかった。2007年に海外でプレイするまで、旅行なんて13才の時の1回きり。8年もの間ロンドンから出たことがなかった。ロンドンに居ればこと足りるし、案外どこにも行く必要がなかったりするから、ここだけが世界だって思いやすい。
B: 海外のツアーを始めてから価値観は変わった?
S: もちろん。色んな人と会って話をしたり、反応を見るだけで励みになるよ。音楽に対しての見解や方向性が変わったとは言わないけど、今やってることをどんどん続けて、もっとたくさん音楽を作ろうって思う様になったよ。海外に行くと必ず早く家に帰って音楽を作りたい衝動にかられる。
B: どこの国が一番印象に残ってる?
S: Dub Warでやったニューヨークかな。すごくいいクラブだったし激しかったね。観客にDJをさせる所が何カ所かあったよ。実際みんな入るのにお金を払ってるわけだから、ギャラをもらってまわしてる訳じゃないんだけど。それに、Dubstepっていうジャンルだけで判断せずに、フライヤーに載ってる名前を予めちゃんと調べて来てる人が多い気がしたね。ニューヨークはそういう印象があった。好きなものをプレイしてそれ相応なリアクションをもらったり、たまに大きな反応があったり。でも、少なくともみんな自分の聴きたいものがかかるだろうって期待はして来てる様だったね。
B: そうだね。大概の大物DJは観客に従うんじゃなくてそうやってリードしていく。
S: そう。だってそういうDJは、'そうじゃなくてこうなんだ'、ってどうにでも動かせるわけだから。芯を曲げずに通してれば必ず同じ人間が集まって来る。Simon Cowell(イギリスのTVホスト)にならなきゃいけない。つまり、今何が起こってるのかわかるには時間がかかるってこと。今やってることを続けてれば答えは自ずと出る。
B: Anti Socialにはいい意味でハイプがたくさんあったよね。Dubstepをやってることをお互いがリスペクトしてるところが、今のそこまでハードでアグレッシブじゃない他の人達と違う部分に見える。それって正当なコメントだと思う?
S: QuestとAnti Socialと自分が作ってるのは、脳に衝撃を与えるものじゃなくて、'踊らせる音楽'だっていうのが自分の見解。ガンガン踊りまくる必要なんてないよ。自分なりのダンスでいいんだ。例えば肩を揺らすとか、頭を頷かせるとか。だから長いセットが好きなんだ。最近2時間のロングセットをやったけど、自分らしく出来た気がしてるよ。もっとやりたいね。必要な場面ではハードでアグレッシブなチューンをかけて、同時にナイスでメロウなものもまわす。もし最後の曲がメロウじゃなきゃ、ハードなセットはただのハードなセットでしかないからね。後で何にも感じないヘロインみたく強めにしてくしかない。
B: 静寂抜きじゃ盛り上がりも無いってことだね。
S: そう。いつもどこかに取り入れる様にしてる。どれだけ多くのDJがそこを配慮してないかをよく考える。といっても難しいよね。だって、みんな聴いてはいるだろうけど、反応がほとんどない訳だからね。メロウなものをかければ、多分観客はしらけ返るかドリンクを買いに走るかだろう?だからって帰ったりはしないと思うけど。でも、みんながいつも盛り上がってる必要はないと思うんだ。
B: 君がAnti Socialとの繋がりに使うキーワードは"ダンス"だよね。君達には、パーカッションとリズミカルなエナジーに関心がある様に見えるけど、最近よく見られる様に、平均的なベースを使ってみんなを動かすっていうよりは、もっと集中してる特別な感じがあるよね。そういうグルーヴにはいつも関心があったの?
S: 最初から一緒にそうやって来ただけで、特に決まってる訳じゃないよ。きっとメロディの前にビートを作るからじゃないかな。自分が音楽をやり始めた時にそうしてたのと同じだと思う。いつもそこに興味があって、常に追いかけて来た感じ。自分のビートはいつも、1、2個のバーの終わりに埋めた所で変わる。音楽を習った時にそうしてたからかな。他にやり様がなかったからビートを面白くしたんだ。
B: アルバム中のパーカッションのほとんどがHalfstepのビートパターンの異形みたいだね。スネアをどこか他の場所に入れるとか、まったく入れないとか考えたことある?
S: 色んな場面を通って来たし、自分のアルバム自体が一つの段階だと思ってるし、今自分がやってることも、自分自身が居るその段階の内の一つだと思う。音楽作りにおいては色んな形にトライするから、作り始めた2002年から僕の音楽について来てくれてる人を探すっていうのは難しいと思う。で、恐らく過去にやってたことが今やってることに繋がってるって思われがちだけど、でも、本当はそこまで繋がってないと思う。何かをクリックすれば次の段階に行く感じ。前は、色々違う音楽を同時に作れてたけど、今はちゃんと区別させなきゃいけないと思ってる。多分年をとって来たっていうことかも。何個ものことを同時に並行してやれなくなったっていうのはある。若い時は5つのことだって同時に出来てた。うまくやれるかどうかは別としても、とりあえず同時進行は出来る。でも年をとってくると、もっともっとフォーカスしなきゃいけなってくる。専門的になるのには役立つけどね。
B: 今注目してるプロデューサーはいる?
S: あんまりいない。QuestやMalaは別だけど。シーンに対してはいつも注目してるけど、'誰'っていう質問は難しいね。あんまりそういう視点で見たくないんだ。音楽を聴いてそれが良ければいいと思うし、良くなかったら良くない、ただそれだけだと思う。
B: Jokerと君のやってることに共通点はあると思う?もちろん全部が全部同じとは思わないけど、ピッチベンドの使い方とか一部似てる部分がある様な気がするんだ。彼のやってることをどう思う?
S: そうだね。絶対的にそうだね。Jokerとは友達だからね。彼とはGeneration Bassで出会ったんだ。お互いいつでもどこでも質問攻め。やりたいことが一緒な人間といれることはすごく有り難いことだと思う。彼は制作の途中でよく聴かせてくれるし、お互いに影響を与え合ってると思う。すごく近い関係にあるから「なんでここをこうしないの?」とか「もっとこうすれば?」とか、遠慮しないで言える。リスペクトしてる人間に意見をもらっても気分は悪くならないよね。だから素直に意見を言い合う。
B: JokerのサウンドはHip-Hopやグライムよりに聞こえるけど、君達はもっとアップリフティングで前向きににやってるよね。
S: そう。僕たちの方向性はそれぞれ違うけど、やってることはかなり似てる。
B: セカンドアルバムを完成させたって聞いたけど、本当?
S: 現時点では、セカンドアルバム用に曲が出来上がってはいるけど、まだ選曲が完全に終わってない。ファーストアルバムを完成したって言えたのは選曲が終わったからなんだ。ファーストアルバムの製作途中に、デモとはいえセカンドアルバムに対するアイディアが既にあった。たくさん作ったけど、セカンドアルバムに入れるのは3~4曲かな。いつも作ってるからたくさんあり過ぎて選曲に迷うよ。'決める'って術も段々身に付けて来てるとは思うけど、ファーストアルバムさえもリリースされてないから、まだその時じゃない気がする。
B: 君って本当に真面目だね。
S: 同時進行してるものがたくさんあるからね。きちんと完成させてない曲もたくさんあるし。まだうまくまとめられてないけど、少しでも早くプレイしてみたい。レイブでDJをする機会があれば試しに聴くことも出来るからスタジオ代わりになるしね。つまり、そこが'同時進行してるものがたくさんある'っていうことなんだ。一度にたくさんのことをやるからたくさん曲も作る。大抵は時間がかかるけど、その分一気に出せるし、だからって次のものを始める前に前のものを終わらせる必要も無い訳。もし連続的にシリーズ化して作ってたら、ちゃんとしたアイディアが出てくるまで待たなきゃいけないから面倒だよね。
B: 今年と来年あたりDubstepはどうなると思う?
S: 大きくなる。関わってる人間のルーツが変わらないからそのまま存在して行くに決まってる。アンダーグランドから抜け出すとも思えないね。ポピュラーになってオーバーグランドに受け入れられたとしても、アンダーグランドから発信され続けるね。だって、まだまだ若くてエナジーのある音楽だから、一度聴けばみんなが作り始めると思うし。常に存在してくだろうから、ルーツが失われるとは到底思えないよ。「今は誰でも彼でもプロデューサーになっててくだらないことがたくさんあるけど、だからこそ移行出来る何かもあると思う。続けてくことは簡単じゃないけど、時間をかけてやってれば必ずいいものは作れる」そうみんなが言ってるよ。
B: 最後の質問。今の自分のテンポについてどう思う?速い?遅い?それとも一緒?
S: わかんない。自分の音楽は変わるときは変わるし、今やってることをやり続けるだけ。それが自分の哲学。変えた方がいいかな?とかそういうのはあんまり考えたくない。むしろ上達させたいって思う。だって、変えるってことは一線上でのことでしょ?でも、上達させるっていうことは前へ進むことだから。僕はただ前向きに成長したいだけで、何かを変えてどこかに進みたい訳じゃない。音楽って少なくとも取り囲む何かに影響されて変わっては行くから、特にそれに囚われる必要はないと思う。何もなくても変わる。気付かないうちにね。5年後、速くなるかもしれないし、遅くなるかもしれない。どうなるかはわからないけど、自分のやってることをただやってくだけ。それが大事。
(*1) WHSmithS:ブックストア。
(*2) EastEnderS: BBCのロングランTVドラマ。
(*3) このインタビュー中のガラージは、全てUK Garageの事
4/16 (土)
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